私がここ数回の発表会で最優先にしていることがあります。
それは、「楽しんで」演奏することです。
実は、私が、これまで優先していたのは「ミスしない」で弾くことでした。
そういう方も多いのではないでしょうか?
私が、この「楽しんで演奏する」という考えに変わったのは、会社の先輩のJAZZコンサートに行ったことがきっかけでした。
チェロを弾いているときの「顔」見たことがありますか?
たいてい、こんな顔しています。
そう、「険しい顔」をしながら弾いているんです。
発表会に来てくれた人に「弾いているときの顔が怖すぎる」と言われた人や、録画のビデオを見返して気づく方も多いのではないでしょうか。
自分もずっとこんな険しい顔をして弾いていました。
なんで険しい顔になってしまうの?
「クラシック」「弦楽器」という言葉が、無意識のうちに奏者を「固定概念で縛っている」のではと思うようになりました。
この2つのワードだけでも、「正確に」「格式高く」「楽譜に忠実に」「ミスしない」というイメージが真っ先に浮かびます。
つまり、「正解は一つしかない」ぐらいの印象を与えます。(真実はいつも一つ!のコナン君並みに。)
1つの正解目指して、「まじめに努力している姿を見せなければいけない」という固定概念によって、一生懸命がんばらなくてはいけない→「険しい顔」になってしまうのです。
ですが、私はあることがきっかけで、この呪縛から抜け出すことができました。
きっかけは、会社の上司のJAZZ発表会
上司にサックスを始めた方がいらっしゃいます。
ちょうど「JAZZ発表会」があるというので、会社の人と聴きにいきました。
びっくりしました。
その方は、サックスを始めて1年だったのですが、演奏がすごく堂々としていて、何より楽しそうに吹くんです。
他のお弟子さんや、そして先生たちも。
習い始めて1年「しか経っていないのに」、こんなにも「堂々と」弾いているんです。
しかも、ノリノリで楽しそう。演奏を「楽しんでいる」んです。
ああ、「これが自分に足りないものだ」、と気づいたんです。
1年「しか経っていなかった」ら、堂々と弾いてはいけないのではないか?という固定概念に縛られ、そして、音楽を「楽しむ」ということが頭にありませんでした。
これまでの発表会は「ミスしてはいけない」場所
これまでの私は「発表会=ミスしてはいけない場所」でした。
当たり前ですが、ミスするとかっこ悪いですし、とても恥ずかしいです。
まして、演奏が途中で止まってしまったりすると、ほんとうに焦ります。
せっかく先生に教えてもらっているのに、ミスばっかりで申し訳ないという気持ちになります。
ですから、「ミスしないように、ミスしないように」と、失敗しないことを最優先にしていたので、楽しむことなんて意識したことはありませんでした。
変わっていった”発表会”の定義
それが、このJAZZ発表会をきっかけに、積極的に「楽しむこと」を優先してみようと思いました。
「発表会=楽しむ場所。だから、失敗するのは想定内。」
つまり、「楽しむこと」を最優先に置いたのです。
ミスは二の次、三の次です。
そう、発表会=ミスしないというのは「プロの世界」のコンクールの話。
アマチュアにとっての発表会は「楽しむ場所」でいいのではないか、と概念を変えたのです。
どうやって、楽しむの?
とても簡単でした、今まで思っていたネガティブな気持ちをすべてポジティブにするだけです。
「あぁ、自分の番が回ってきちゃったな」→「やっと、自分の番が来たぞ!」
「ミスしたら嫌だな」→「発表会は失敗して自分の課題を見つけるところ。成長のためにたくさん失敗しよう!」
「たくさんの人に見られて嫌だなぁ」→「いろんな人に聴いてもらって、あとで成長のためのフィードバックをもらおう!」
これは仕事でも同じです。嫌な仕事と思うとモチベーションが下がりますが、部分的に好きになったり、
自分がちょっと工夫して進めるだけで、楽しく仕事を進めることができます。
発生する事象は「失敗」には変わりません。でも、それをポジティブに受け止めるだけで、まったく状況は変わりますよね。
自分だけが楽しいだけではダメ
最初はまず、自分だけが楽しめるようになることを優先します。
笑って演奏してもいいですし、この小節だけは絶対に楽しんで弾く!と決めてかかるようにしました。
これができてきたら、次は伴奏のピアノの人も、来場してくれた聴き手も楽しくなれなければいけません。
ピアノの人とはしっかり信頼関係を結び、お互い楽しむことを意識してステージに臨みます。
そうすれば、ピアノも掛け合いができ、聴き手も楽しい気持ちになります。
楽しむこと=楽することではない
ここで一つ、楽しむことは「楽して」弾くことではない、ということを最近、痛感しました。
<弾けるテンポに「落としてしまう」ソロ>
これまでは、「テンポ上げると弾けない」じゃあ「演奏会ではテンポ下げて弾きましょう」という、「安全サイド」で弾いていました。
誤解を恐れずに言えば妥協していたんです。
つまり、優先していたのは「音楽性より自分の都合」。
「弾けてはいたけれど、演奏・音楽的にはイマイチ」という演奏になっていました。
それに加え、「ダメだったらテンポ落とせばいい」という保険のせいで、挑戦をしなくなっていました。
そう、成長が止まっていたのです。
<「弾きマネをしてしまえばいい」オケ>
対して、オケは自分でテンポを決めることはできません。
なので、弾けないテンポで弾くことが多く、なんとかついていくという「挑戦」によって成長が促されていました。
しかし、最悪、難しいところは「弾きマネ」してしまえばいいという妥協がありました。
<一長一短のソロとオケ>
つまり、ソロは弾きマネができないので音をしっかり出さないといけないが、テンポは自分で決められるという妥協がある。
オケは、テンポを変えられないので何とか弾けるようになろうと練習し挑戦する、しかし弾けなかったら弾きマネで誤魔化せるという妥協がある。
弾けるテンポ=音楽性が損なわれている
良い演奏というのは、音程が正確、きれいなヴィブラートだけでなく、「心地よいテンポ」も必要です。
これまでの私は、ミスしないことを前提とした演奏でした。
なので、「弾けなかったらテンポ落として引けばいい」という自分都合の演奏により、演奏は音楽性を損なっていました。
聴き手に、「弾けているけれど、うまくない」という印象を与えていました。
これに鞭を打つべく、2020年2月は「テンポはむしろ上げる。プロと同じテンポに挑戦してみる。」と甘えからの脱却を図りました。
これが功を奏しました。
お弟子さんから「これまでは、弾けてはいるがあまりうまくないと思っていた。ただ、ここ数回は“うまい”と感じるようになった」とフィードバックをいただけたのです。
成長のためには挑戦する。挑戦は失敗すること。
「弾けなかったらテンポ落として引けばいい」の弊害は、音楽性を失わせるだけでなく、自分の「成長」を阻害していました。
甘えた自分によって、貴重な成長の機会を奪っていることに気づいていませんでした。
少し無理するぐらいに挑戦していかないと、いつまで経っても成長しないのです。
先生の出された課題を粛々と続けるのはもちろんですが、あとどれくらい負荷をかけられるのかは、先生ではなく自分自身が一番わかっています。自分で負荷をかけてあげなくてはいけません。
だからと言って、無謀なテンポに挑戦するのはダメです。
ちょうど、ストレッチや筋トレをするぐらいの負荷をかけて「挑戦」していくことが大切と思いました。
発表会は挑戦する場所
ですので、最近の発表会の定義は下記です。
「発表会=楽しむ場所。そして、しっかり挑戦する場所。だから、失敗するのは想定内。」
ようは、現状の安定状態に浸かったままではなく、外に一歩、二歩踏み出すことを忘れない、ということです。
そして、挑戦には失敗がつきものです。失敗したらちゃんと振り返りをすればいい。それだけです。
挑戦と失敗と振り返りの繰り返しで成長していくのが、一番の近道だと感じました。
そう考えると、発表会は「披露する場」ではなく、自分をよりよいチェロ弾きにするために「弱点を顕在化させる失敗の場」と捉えるようにしています。
多く失敗したほうが、次への成長の伸びも大きくなります。
そう考えると、嫌だいやだと思っていた発表会も、だいぶ楽になりました。
最後に
とはいえ、チェロを始めて1年足らずで堂々と楽しく弾ける人は、そう多くありません。
やっぱりチェロって難しい楽器です。とくに音楽も初心者で始めた私にとっては、とても難しく・辛さを感じる趣味であります。だから、険しい顔をして弾くことになってしまうでしょう。
でも、心の片隅に、こういう気持ちを置いておくだけで、だいぶ変わってくるものなんだなぁと思っています。
今日の妻の一言
だからって、失敗していいから練習しない、というのは本末転倒だからね。しっかり努力したうえでの失敗にしなさいよ。
はい…。