【読了】チェリスト 堤 剛さんを深める

初めに

しっかりとチェロと向き合う時間を持とうと思い、ブログを始めて1か月。
以前から興味があったがなかなか知る機会を持てなかったのが、チェリストの「堤 剛さん」だ。
見るからに優しそうな風貌。そして、奏でる音色は骨太でどっしりした重厚感。
堤さんが、どうチェロと出会い、どのような人生を過ごしてきたのかを、知りたかった。
もちろん、ロストロポーヴィチやヨーヨー・マだって知りたいのだが、やはり日本人として日本のチェリストを深めておきたいのである。

堤さんの「チェロを生きる」という本を読んだ。
堤さんの自伝的な書であり、彼の人柄を理解するには十分な内容になっている。
私が本の随所で感じたのは、堤さんの圧倒的な「謙虚さ」だ。

また、本書の中では、チェロの歴史をわかりやすく説明してくださっている。
特に、戦後の日本における音楽活動の広がり(広げていったのか)、先人たちの努力や苦労が紹介されている。
今、我々が自由にチェロを弾けるのは先人たちの苦労があったからこそ、と再確認できる。

ここでは、私が特に感銘を受けた部分を紹介していきたい。

チェロを生きる

奏者は天才ではなく、「努力」でなりたつ

プロがいとも簡単に楽器を演奏している姿とみると、「楽器って簡単なんだな」という誤解が生まれる。
そこで、いざ楽器をやってみるのだが、その難しさに絶望する。
「なんて難しい楽器なんだ。プロはもともと「才能」のあった天才に違いない。」と思い、あきらめ感がでるのだ。
さらに、「才能があるから「練習」なんてしなくても弾けるのだろう」と勝手にうらやましがるのである。

白鳥が優雅に泳いでいるのは水面上だけで、見えない水面下では足を一生懸命バタつかせているのは有名な話だが、プロの演奏家も同じだという。
ステージの優雅な演奏は、見えないところでの「ひたすらの努力」、「練習の積み重ね」で成り立っている。
決して、天性とか才能があったから、だけでは済まされない。
この努力の積み重ねが重要であることを、この本からも感じ取ることができた。

さて、堤さんの先生は、斎藤秀雄氏やシュタルケル氏であるが、
斎藤氏からは「おまえは人より不器用だから3倍頑張らなければいけない」と言われたり、
シュタルケル氏に弟子入りした数年間は、コンチェルトは弾けず「音階の練習」から再スタートすることになったそうだ。

普通、「不器用」と言われたら、チェロは向いていないんだなぁとあきらめてしまいがちだが、
不器用だから「3倍がんばれ」という斎藤先生の言葉は、むしろ前向きにさせてくれる。
そして、その言葉を信じて努力するということも大切だ。

私も、あきらめずに努力することを忘れないようにしたい。

経験は「挑戦するため」に或る

この本の多くの部分において、学ぶべきことが随所にちりばめられていた。
チェロ弾きとして学ぶべきことだけでなく、「人」として「生きる」ために学ぶべきことも多かった。

私の中で、特に感銘を受けたのが、この部分だった。
少し長くなってしまうが、以下に引用させていただく。

経験で得たものをいつも新たに何かにぶつけていかなければいけない

私たち(演奏家)にとって一番危険なことは、経験にあぐらをかいてしまうことである。

たとえば、「私は外国のどこどこへ行って、何とかという偉い先生にレッスンを受けてきた」とか「俺は二十いくつの時にプラハでドヴォルザークで弾いた、偉いだろう」と思ってしまうようなことである。それでは何にもならない。

(中略)

確かに人間というのは年を取れば経験が増えていく。

しかし、経験の量だけでは何の意味もない。

私たち音楽家はつねに創造性というものが必要である。

つまり、これまでの経験をどれだけ自分の中で養い、創造的に次の経験にぶつけていくかということなのだ。

それまで自分が培ってきたもの、蓄積してきた経験をどれだけ自分の演奏に投げ込むことができるかなのである。

人は一度成功してしまうと、その成功体験が頭に残り、次の挑戦ができなくなるという話を聞いたことがある。
身近な例でいうと、高度成長期(バブルの時代)で成功体験した会社員の多くがそれに当てはまる、と言われる。
過去の成功体験に囚われて、失敗を恐れ、次の挑戦ができなくなるというものだ。

私自身も、以前の投稿で投稿で、「演奏会=失敗してはいけない場所」という思い込みがあり、
失敗しないことを最優先し、安全サイドで弾いていた。
音楽とはそういうものだと思っていたし、失敗しないことを気を付けることで上達すると思っていた時もあった。

しかし、「音楽は楽しむもの」を最優先し、「演奏会=楽しむ場所、挑戦する場所、むしろ失敗してもいい場所」と意識改革し、演奏が変わったと書いた。

 

しかしだ。当たり前であるが、そんな私の意識改革より、堤さんの言葉は格段に重い。
彼らはプロの演奏家であり、我々アマチュアとは違う。
彼らプロは、お金をもらって楽器を弾いている。
お金をもらって演奏するわけであるから、常に「失敗はできない」というプレッシャーがあるわけだ。
しかし、そこでも「挑戦する」ことを忘れていないのである。
「挑戦」と「失敗」のギリギリで生きるからこそ、プロとして存在できる。

昨日学んだすべてこのことを、今日、明日に存分に使う、挑戦することの重要性を改めて感じた。

その他:雑記

この本を読めば、チェロ弾きとしての心構えを学ぶことができるのだが、私の中で心に残ったものを、いくつか紹介したい。

■楽譜を“読む”ということ
堤さんがベートヴェンのチェロソナタ第3番1楽章を弾こうとしたときに、シュタルケル先生から言われた言葉がこれだそうだ。
「ツヨシ、わかっていると思うが、一番最初の音を弾くときには、その楽章の最後の音まで全部を見渡せていなければいけない」

曲のイメージをしっかり持ってから弾き始めることの重要性は知ってはいるものの、なかなかイメージがわかなかった自分にとって、この言葉はとてもしっくり来た。
「終わりを考えることから始める」という有名なコーヴィの7つの習慣にも通じるところがある。

さらに、楽譜の読み方として、「立体的に捉える」こと、「楽譜の景色」を読み取ることの重要性も説いている。
興味深いのは、斎藤秀雄先生からはバッハ無伴奏を「色鉛筆」で指導されたそうだ。
五線譜に色を塗るのは試したことがあるが、曲の景色を「色鉛筆」で装飾することも試してみたい。
曲の音楽性、ダイナミクスなどを豊かにできそうだ。

■“先取り”の重要性:アンティシペーション(anticipation)。
「自分の演奏が滑らかだと感じる人がいたら、それは先取りの効果だ」と、堤さんは言う。
ご存じの通り、D線からA線の移弦は、D線を弾いているときに腕を先に持って行ってやるとスムーズに音がつながる。
私自身、これについては毎回先生にフィードバックを受ける課題の一つだ。
プロも気を付けているのだから、演奏する前にしっかり心に置いておきたい。

■チェロ協奏曲は250曲近くある
堤さんはチェロ協奏曲が何曲あるか調べたそうだ。
実に250曲を超えるが、作品として良いものが少なく、結局演奏されるのは30~40曲程度になるとのこと。

■モーツアルトのチェロの曲はなんでないの?
また、作曲家の近くに「うまいチェリスト」がいたことにより、チェロの曲が増えたと説明している。
チェロの三大協奏曲は、ハイドン・ドヴォルザーク・シューマンとされるそうだが、彼らの近くにはうまいチェリストがいた。
しかし、モーツアルトのチェロの曲がほとんどないのは、彼の近くに良いチェリストがいなかったこと、だと紹介している。

うさぎ

演奏家の曲をCDで聴くだけではなく、その人の人柄に触れるとまた楽しみが増えました。
堤さんの生演奏を聴いてみたいです。